今世間を何かと騒がせている宗教2世について、私自身も2世の当事者なので今までの気持ちを赤裸々に綴っていこうと思います。
まず『宗教2世』という言葉が出てきたのも統一教会問題があっての話で、私自身は統一教会ではないのですが同じく新興宗教の2世で幼少期や思春期を棒に振るい苦しんできた過去があるので、私だけじゃないんだという妙な感覚に陥りました。
たびたび報じられるニュースを信仰者の母と一緒に観て私は納得してる気持ち。
でも母は『うちは統一教会とは違うから。』の一点張り。
笑っちゃいますよね。
いや、子供が苦しんでいることは同じよ。と。
そもそも、宗教自体は悪いことだと思わないし、それで救われている人間もいることは事実だと思います。
ですが、その子供たちは良いも悪いも分からないままその環境で育っていくこと、半ば強制で連れていかれることで、苦しんでいる事実があるってことを気付いてほしいです。
そもそも宗教2世の大半は自分の意志ではない。
幼少期の何もわからない状態で親に宗教に連れられその教えを植え付けられる。
ことにより親子関係にひびが入ったり、抜け出した今もなお罪悪感にさいなまれたり今もなお苦しんでいることもあります。
宗教自体にハマっている間はどんなことを言おうが神の使い、神のお告げ、抜け出そうとしている私たちは悪霊にとりつかれている。不幸せな道を歩もうとしている。と悪役に仕立て上げられます。
信仰者で子供が抜けたいという意思を尊重できる親は中々いないのが現実です。
子どもが大切だからこそ幸せになってほしいからこそ信仰していてほしいという気持ちがあるのです。
その親心も分かります。ですが、実際その状態が人生そのものを苦しませていることに気付いてほしいですよね。
我が家が宗教にハマってから現在に至るまでの過程を書いていこうと思います。
宗教に親が入信
我が家は父と母、母方の祖父母と母の姉の叔母そして私と弟の2世帯の7人暮らしでした。
私が幼少期の時(5,6歳くらいかな?)、父の親戚の紹介である宗教に父と母が入信しました。
私と弟はことあるごとにその行事に参列し、毎回連れていかれることが日課となりました。
幼少期の記憶はあいまいなのですが、はっきりと覚えているのは、一緒に住んでいた祖父母は猛反対していることです。
でも今思えば、無理もないと思います。
当時入信した時期はオウム真理教が事件を起こした後の話だったので、宗教自体に悪印象が付いてしまっていること。
今でいう統一教会問題で宗教=やばいやつ。のイメージがある時代だったからです。
そして何よりも仏教的な祈りじゃなく、悪霊、霊感商法的な部分と、儀式がオカルトチックだから今の時代でも、その実態を知るとヤバい宗教だと言われています。
なので特に祖母が猛反対していたことが印象的です。
けど父と母は何としてでも家族みんなに入信してほしくて必死だったのも覚えています。
まず最初に勧誘されていたのは母の姉でした。
母の姉は入信しました。
それをどうやって祖父母を説得したのかは分かりません。
半ば強制で連れて行ったのかもしれないし、いまだに謎です。
子どもたちの宗教隊
その後私たち子どもも10歳で本格的な入信が出来る歳になるので、入信させられました。
そして子供たちは、ボーイスカウトのような隊員に入らされます。
これは入信した子供ほぼ全員が入隊させられる部隊です。
夏休みには長期合宿で田舎の山奥に連れていかれそこで研修会や訓練などをさせられます。
軍隊のような生活だったのを覚えています。
寝袋持参でみんな寝袋で雑魚寝をし、早朝に起きてすぐ外に集合し、点呼。
分刻みのスケジュールで休憩などはほとんどなし。
集団行動の行進や整列の練習を広い運動場で何時間も行われたり、その間水分補給は自由にさせてもらえず、休憩もなし。
中には倒れる隊員も複数人居ました。
今思えばおかしいですよね。
他にも山登りや、5分間のシャワータイム、トイレはバケツで流す、歯磨きは歯磨き粉の使用を禁止され、塩で磨く、ドライヤーなどももちろん使用不可。
講習会では独身の時の不貞行為の禁止や恋愛禁止。
髪を染めたり、ピアスを開けたり、ネイルしたりももちろん禁止。
手術や注射などは刃物の罪穢なのでよくないことや薬は毒物なので飲まないこと。など変な教えばかりでした。
ですが、私自身痛み止めや抗生物質、その他もろもろの薬は毒物だから飲んじゃいけない。と大人になっても思って育っていきました。
パニック障害に悩まされた時も、薬物療法を抵抗して病院にかかることすらせず、私がこのように陥ったのは宗教を辞めようとしたから罰が当たったのではないかと思うまで苦しみました。
そこで一度復活しようとしたこともあります。
ですが、祈ろうが、清まろうが治りませんでした。
その他にも薬用化粧水のように『薬用』と記載されていたもの全ては毒物という認識を持って一切の使用を控えていました。
高校に入って宗教に行かなくなったのですが、恋愛をするたびにどこかで罪悪感を持っていたのも事実です。
オシャレをしたいのに心の底から楽しめない。
髪を染めて、ネイルしたいのに、それすら悪いことをしている気分。
青春時代を心の底から楽しめなかったです。
そのような合宿が毎年夏休みに行われて全国各地からバスで何時間も掛けて集合するんです。
10歳から15歳くらいまでの隊員だったと思います。
私の地域からは6時間ほど夜行バスに揺られて行っていました。
それ以外にも月に一度1泊2日の合宿があったり、すごく嫌で嫌でたまらなかった記憶です。
自ら楽しんで参加したことは一度もありません。
泣きながら引きずられていったこともあります。
車から飛び降りようとしたこともあります。
チャイルドロックをかけられ、外からしか開かないようにされていました。
反抗期とともに行くのを拒否
そんな苦痛も高校生に入ったころに反抗期に入り、本格的に拒否をするようになり、行かなくなりました。
周りからも待っているよなどの声掛けもありましたが無視。
母ももう諦めていました。
話は戻りますが、そんな父と母も私が10歳の頃に離婚しました。
それでも母はその宗教から離れることはありませんでした。
父も今現在も信仰者らしいです。
活動拠点は違うのですが、たまに会うらしいです。
そして私が行かなくなって弟も行かなくなりました。
その後祖母が倒れ、施設に入居したタイミングで祖父も勧誘され、入信しました。
ですが、祖父は自己意思というより何かわからないまま連れていかれ、入信した感じです。
なのでその後のマナーやルールなども分からないまま生活して母を困らせていました。
その祖父母、叔母も他界した今、母はひとり通っている状態です。
再度勧誘
そして私も結婚し、出産し、再度母に勧誘されました。
母「子どもが生まれて家族が出来たことで、子供をお守りしたいでしょ?夫婦円満にすごしたいでしょ?ならちゃんと通って祈りましょう。じゃないと離婚するわよ。」と。
『いやいや、あんたら夫婦そろって信仰して離婚してるがな!』と心でつっこみながら(笑)
私「私はご先祖様や、神様、仏様のことは信じているし、信仰心もある。だから初詣に神社に行ったり、お祈りしたりする。感謝の心もしっかり持っているけど、神様のせいでうまくいかなかったとかうまくいったとか、自分の人生を委ねるつもりはない。私は自分の足でしっかり人生を歩んでいこうと思ってるので、宗教には頼りません。」と。
そこから母は何も言わなくなりました。
ですが、孫には幸せになってほしいということで連れて行っています。
私は預かってほしい時に連れて行ったりしてるので、何も言いません。
それに子供たちも遊んで楽しかったと言っているので今は見守っています。
ですが10歳になっての本格入信は絶対にさせません。
その宗教に入って悪かったことばかりではないです。
礼儀作法や、感謝なども教わったからです。
でもそういう教育は家庭でも出来るし、自分の母やその他の信仰者を見ていて思うのが、そういう教えを受けながらも愚痴や不満を口に出すし、日常生活に全く生かされていないことにもつっこみたくなります。
何か問題を起きた時も自己責任ではなく、神への祈りが足らなかったとか、悪霊のせいだとか…。
そしていいことがあれば、神への祈りが叶ったとか。
そういう生き方を客観的に見ていて、人生楽しいのかな?と思います。
神様中心の生き方・考え方で、自分に対しての責任は全くなく、自分の為に生きていることもせず…。
それこそが宗教の教えなのかもしれませんが。
宗教2世の方に伝えたいこと
冒頭でも伝えた通り、宗教自体は悪いことではありません。
宗教にはまっている人たちは少なからず信仰することで救われているからです。
私の母もそうです。
私の母は友達が多い方ではなく、誰かと遊びに行くこともほとんどなく、今は若いから職場などで人間関係や交流を持っています。
しかし、これが年老いた時、仕事を辞めた時はどうでしょう?
きっと母は孤立するでしょう。ですが宗教があるおかげで日々の日課ができ、人とのつながりも消えることはないでしょう。
それが生きがいになるかもしれません。
でも生きがいがないよりはあるほうがずっといいです。
お金を巻き上げられるとか騙されるような宗教は別ですが、ただ参拝しに行くことや、人と話すことなどは悪いことではありません。
なので、親を無理やり抜け出させようとする必要もないと思います。
親は親の考えを尊重してあげる。
だから私の考えはしっかり尊重してほしいと伝えることも大切です。
私は大事な母だからこそ、母の信仰の邪魔はしようとは思いません。
前提にお金を巻き上げられたりという被害がないからですけどね。
子どもに信仰させたい親たちへ
小さい頃は親が子供を面倒見なきゃいけないし、宗教の場所に連れていくこともあるし、行事に参加させることもあると思います。
ですが、その子供たちは本当に楽しんでいますか?
心の底から望んでいますか?
嫌がっていませんか?
お子さんが大切なのはわかります。
神様や仏様に守ってほしいのもわかります。
でも嫌がる子供たちを無理やり連れて行ったり、強制させるのは虐待と連想させられます。
そしてその子たちは大きくなっても心の傷として残り続けます。
私がそうだったように嫌な記憶は鮮明に残ります。
だからこそ教えを乞うのは良いけど、強制するのはやめてあげてください。
周りに何と言われようが「子供が行きたくないと言っている。子供は子供の人生だから私は強制しません。」と言える強さを持ってください。
それこそが親の本当の強さです。
子供たちを守ってあげる行為です。
そしていい親子関係を築ける秘訣です。
まとめ
今回は自分の経験とともに宗教二世問題が抱える心の思いを綴ってみました。
未だにこの思いを持っていることは私の母自身も知りませんし、きっと気付いていないでしょう。
結果的に私と同じ時期に入った隊員の半数以上が私と同様に抜け出されたみたいです。
今もなおそういう宗教は表立って活動していない、クローズ的な場所なので世間にその実態が知られていないのが事実です。
実際私も親が宗教者であること。
自分が宗教に通っていることを子供のころからずっと隠し続けていたので幼いながらにも変だと気付いていたのかもしれません。
今でこそ仲の良い友人や旦那には伝えていますが、みんなの反応は「え?大丈夫なの?」と心配するような返事しか返ってこないのでそれが世間の目なんだと改めて気づきました。
長い分でしたが、最後までご覧いただきありがとうございました。